ハヌル(韓国語で空を意味する)、その名前は本当に彼に似合う名前だ。空に似ている俳優、カン・ハヌルの物語だ。彼を“美談天使”に仲間入りさせたMBC「黄金漁場−ラジオスター」。カン・ハヌルをインタビューした後、ファンになった。カン・ハヌルに初めて出会ったのは2年前だ。彼が人々に知られ始めた時だ。常に微笑みを浮かべている顔とは違い、演技に対するはっきりとした主観と真面目に人生に向き合う姿が素晴らしかった。そして2年後、ドラマ「ミセン−未生−」、映画「二十歳」、tvN「花より青春 DVD」に出演し、この俳優には大きな変化があった。2年前のインタビューで「人は変わるが、変質しないだけだ」と言っていたカン・ハヌルは人気という甘さを味わったことで変わったが、変質しなかった。映画「ドンジュ」と「好きになって」に出演した彼は幸い、今でも星に歌う気持ちで演技という一つの井戸を掘り続けているようだった。一途な人だ。
―映画「ドンジュ」に出会う前からユン・ドンジュ詩人のファンだと聞きました。ユン・ドンジュ詩人を全身で演じた以上、カン・ハヌルさんにとってユン・ドンジュ詩人は以前とは違うと思います。美しいあなた DVD演じる前と演じた後、感情の変化はありましたか。
カン・ハヌル:ユン・ドンジュ詩人を人間らしく感じることができました。多くの方々がユン・ドンジュ詩人の詩は知っているけど、人生についてはあまり知りません。僕もそうでした。ユン・ドンジュ詩人について漠然と描いていた僕だけの枠がありました。とても巨大で、宇宙のようで、奥深いイメージでいっぱいでした。そんな中で映画「ドンジュ」でユン・ドンジュ詩人の役を演じることになりましたが、台本を読みながら驚きました。ユン・ドンジュ詩人は虚構の人物ではありません。過去の時代に生きていた若い男性で劣等感もあったと思うし、嫉妬もし、誰かを愛したこともあると思います。でも、そのようなことを全て無視して、自身だけの偏見でその方を判断していたと台本を読みながら気づきました。深く反省しました。
―ユン・ドンジュ詩人はあなたにとって具体的にどんなイメージでしたか?
カン・ハヌル:白い雲のような、手に届かない方でした。ペンだけを持つと簡単に詩を書ける方だと漠然と想像していたようです。これまでユン・ドンジュ詩人を人間として見ず、時代のアイコンとして見ていました。だから「ドンジュ」の台本が好きでした。ユン・ドンジュ詩人を一人の人間として知ることができました。
―人々もカン・ハヌルさんをそのように見ているかもしれません。自分だけの枠であなたのことを判断するでしょう。それぞれのカン・ハヌルとして。
カン・ハヌル:あ……そこまでは考えたことがありません。あ……(しばらく考えて) 話を聞いてみたらそうですね。でも、チャン・ベクギとは確実に違うとよく言われました。「ミセン−未生−」を通じて僕のことを知った方々は僕のことをキツい性格だと思っていたそうです。なので、ファンから「一緒に写真を撮りたいと言えなかった」と言われました。不思議でしたお義母さんは私の嫁 DVD。僕はそんな人ではないのに。気難しい人ではないのに(笑) でも、僕が演じたキャラクターとして僕を見てくれたことには個人的に感謝しています。それは俳優である僕にとっては褒め言葉でもあるので。
―「ドンジュ」で詩を書く詩人を、「好きになって」では音楽を作る男を演じました。現実でも演技という芸術に携わっています。少し大げさな質問なのかもしれませんが、カン・ハヌルさんにとって芸術とはどんな意味を持っていますか?
カン・ハヌル:ええと、僕がやっている演技を芸術と定義するには曖昧な部分があります。でも、個人的に考えている芸術観はあります。芸術というものは観客がいなければなりません。だから、僕なりに考えたのは良い方であれ、悪い方であれ、見る人々の心を動かすこと、または相手を進化させたり、変化させることです。そのような目的を持ってやることを芸術だと思っています。また、僕が考えている芸術観です。
―はっきりしていますね。
カン・ハヌル:はい。でも、「芸術家の人生は何か?」について考えると……演技が難しい理由は答えがない行為だからだと思います。答えがないものだが、答えのように演じて観客に答えのように思わせることが難しいです。だから、時々嫌になる時もあります。本当に難しいです。それは恐らく書くこと、美術、音楽も同じだと思います。そのような点で絶えず自我省察し、反省するのが芸術家の人生だと思います。
―それぞれの時代ごとに芸術家への視線が変わっています。タイムマシーンに乗るとしたら、国内外を問わずどの時代の芸術家になりたいですか?
カン・ハヌル:すぐに思い浮かぶのはルネサンス時代です。僕はその時代が好きです。何と言えばいいんだろう。その時代に行くと、芸術をすると言って自分勝手に生きていそうです。遊び人として放浪しながら。ハハハ。ルネサンス時代じゃなかったら、春秋戦国時代に戻るととても激しく芸術活動ができそうです。面白そうです。
―詩人が出演する映画で一番有名な作品は、恐らくレオナルド・ディカプリオがランボー役を演じた「太陽と月に背いて」(1995) ではないかと思います。
カン・ハヌル:そうですね。「太陽と月に背いて」でなければ「いまを生きる」(1989) くらいですね。「ドンジュ」を撮影しながら参考にできる映画があまりなかったです。
―そのような理由で、これからは「ドンジュ」が詩人が登場する映画として参考作品になるかもしれませんね。
カン・ハヌル:(照れて手を振りながら) いやいや。でも本当にそうなったら嬉しいですね。ハハハハ。
―普段から詩を書いていると聞きました。
カン・ハヌル:もともとは日記を書いていましたが、毎日は書けなかったんです。面倒くさいし(笑) もっと容易に日課を整理する方法はないかと悩んだところ、見つけた方法が無造作に書くことでした。恥ずかしくて詩とはいえません。本当に何でもないです。たとえばこういう文章です。「朝はコーヒー、昼はスパゲッティ、夜はキムチ鍋、今は寝ること」こういうものです。詩ではなく無造作な文章です。この方がもっと書きやすくて僕の性格に合っていました。そんな中で突然インスピレーションが湧いたら、それなりに素晴らしい詩になります。その程度です。
―何かを書く時はノートに書きますか?それともパソコンに残しますか?
カン・ハヌル:ノートに書きます。パソコンの電源をつけてセッティングする方がもっと面倒くさいです。僕はノートに書くのがもっと楽です。
―ノートに書くのが好きで、詩が好きなカン・ハヌルさんにとって映画「好きになって」が描いているSNSでの人間関係はどうですか?SNSに掲載する自分の姿は、実は自分の姿の中で一番良い姿を選んだものです。
カン・ハヌル:質問がいつの間にか「好きになって」に変わりましたね(笑) 僕は今SNSをやっていません。アプリを消してもう一年になります。SNSを上手く利用すると素晴らしい機能だと思います。人は誰でも愛されることを願っている寂しい存在なので、自分たちの綺麗な姿を掲載することに反感はありません。でも、僕は上手く利用できない人でした。ある日、起きたら習慣のようにFacebookに写真を掲載していました。その瞬間、考えました。「僕、今何を見ようとしたんだろう」目的のないFacebookをやっていたのです。友達の日課が知りたくて見たらいいのですが、何の目的もなしにただ習慣的に何かを掲載している自分を知り、アプリを消しました。
―アプリを消してから生活が自由になりましたか?
カン・ハヌル:一週目は「もう一度始めようかな?」という思いが大きかったです。でも、時間が経つごとに徐々に楽になりました。InstagramやFacebookで知らない人の空間に一度ずつ入っていたことを止めたら、携帯を見る時間も減り、今はとても楽です。
―「SNSは人生の浪費」と言ったサッカー監督ファーガソンの言葉が俳優たちには少し刺激になったと思います(笑)
カン・ハヌル:誰が言った言葉なのか知らないけど、SNSに夢中だった時にこんな言葉を聞きました。「SNSは世界の人々と疎通するために作られたが、隣人との疎通を妨げる」という言葉です。その言葉を聞いて反省したことを覚えています。
―昨年、映画「二十歳」でもたくさん愛されました。ヒーラー DVD二十歳のユン・ドンジュ詩人は詩を書いただろうし、「ミセン−未生−」のチャン・ベクギは図書館に閉じこもって勉強ばかりしていただろうと思います。カン・ハヌルの二十歳はどうでしたか?
カン・ハヌル:一つの記憶しかないです。当時、僕は「春のめざめ」(英題:「SPRING Spring Awakening」) というミュージカルに出演しました。それは6ヶ月間の公演で、練習期間が3ヶ月でした。また、オーディションが4次まであったのですべての期間を合わせると1年近い時間をそのミュージカルに注ぎ込んだわけです。それで、二十歳の時の記憶はその公演のことしかないです。(チョ)ジョンソク兄さんなど、一緒に公演した兄さんたちと広場(クァンジャン) 市場に行ってお酒を飲んだり、公演したり、ミスを犯したら笑ったり、楽屋とメイク室を行き来した記憶がすべてです。
―映画「ピョンヤン(平壌) 城」も二十歳の時に撮った作品じゃないですか?
カン・ハヌル:それはたぶん「春のめざめ」が終わってすぐの頃だと思います。イ・ジュンイク監督に出会った僕の初映画です。
―初めての映画現場はどうでしたか?
カン・ハヌル:イ・ジュンイク監督に今でも感謝していることが、僕の初の映画現場をとても美しく飾ってくれました。ある日、撮影が終わって一緒にお酒を飲んでいたら、監督が突然僕と(イ)グァンス兄さんに友達になろうと言ってきたんです。「監督、僕たちなんかがどうやって監督と友達になれるんですか」と言ったら、「どうして?外国人の場合、おじいさんと子供が友達になれるのに、僕たちはなぜダメなの?」と言われたんです。そのご縁で「ピョンヤン城」が終わってからも監督の事務室に遊びに行ったり、お酒も一緒に飲んだりしました。とても良かったです。
―演劇「ハロルド&モード」では80回目の誕生日を迎えるおばあさん(モード) に恋に落ちる17歳の少年(ハロルド) を演じましたが。
カン・ハヌル:ははは。そうなんです。年齢を越える愛を演じました。
―「ドンジュ」ではユン・ドンジュ詩人の詩が適材適所にナレーションで登場します。個人的には「簡単に書かれた詩」が一番良かったです。その詩を読むカン・ハヌルさんの声のトーンが他の詩と違う気がしました。
カン・ハヌル:はい。トーンが少し違います。その詩を気に入っている人が意外に多いです。
―「簡単に書かれた詩」の場合、植民地時代に苦悩にとらわれた詩人の心が盛り込まれた詩で、「人生は辛いというのに/詩がこんなに簡単に書かれるということは/恥ずかしいことだ」という部分があります。少し違う意味で、俳優カン・ハヌルにとって恥ずかしいことは何ですか?
カン・ハヌル:ユン・ドンジュ詩人が表現しようとした恥ずかしさはとても大きなものだったと思います。その大きさに比べれば僕の場合はまったく大きくないですが、僕は演技がとても下手だった過去を考えるとすごく恥ずかしくなります。「あの時、どうしてあんなに下手だったんだろう」「再びあの時に戻れたら少し違う感じで演じられるはずなのに」とたまに考えます。演技が下手だとものすごく怒られた気がします。それで、たくさん泣きました。「すみません!もう少し練習してきます」と言って外に出て一人で泣いたりしました(笑)
―「ドンジュ」はユン・ドンジュ詩人のソウルメイトだったソン・モンギュ(パク・ジョンミン) の映画でもあります。実際にソン・モンギュのような親友はいますか?
カン・ハヌル:はい。大学時代に仲良くなった5人がいます。僕の人生において最後の親友だと思っている仲間です。毎週日曜に集まって演技の勉強会を行ってきました。大学1年生の時に始めて今もやっています。そのうち1人は演技を辞めて、僕たちの応援を受けながら違う仕事を準備しています。もう一人は映画の演出を準備しています。残りの3人は演技をやっていますが、そのうち一人が今回「ドンジュ」に出演しています。ムン・イクファン牧師を演じたチェ・ジョンホンという俳優で、僕にとっては本当に大切な親友です。僕が彼を推薦したと言う人もいますが、僕なんかが推薦してもキャスティングされません(笑) 撮影現場で彼に会った時、とても変な感じがしました。彼は初めてだからか緊張して手が震えていました(笑) 好きな親友と同じ撮影現場にいるということがとても幸せでした。
―後日、演出を準備している親友の作品に全員が一緒に出演したら意味深いと思います。
カン・ハヌル:夢です。彼の演出デビュー作に僕たちが一緒に参加しようとよく話しています。
―ユン・ドンジュ詩人がソン・モンギュに感じる感情の中には劣等感と嫉妬もあります。しかし、劣等感と嫉妬は必ず悪い感情ではないと思います。俳優にとっては特にそうだと思いますが。
カン・ハヌル:その通りです。世の中には演技が上手い人が本当に多いです。最近、最も強く感じた劣等感の対象は「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」のエドワード・ノートンです! 正直に言うと、悪口を言いながらその映画を見ました。「どうやったらあんな演技ができるんだろう」と思って狂いそうになりました。彼を乗り越えることはできない気がして不安を感じました。でも、心を引き締めました。
―2年前に会った時、「変わる。変質されないだけだ」と話したことを覚えていますか? その言葉が非常に強く印象に残っています。ここ2年間、多くの人から愛される俳優になりました。でもその間、カン・ハヌルさんは変わったが、変質されてはないんですか?
カン・ハヌル:そうだと信じています。そうであってほしいです。いつも初心を守ろうとしています。人はどうせ変わります。また、変わらなければなりません。変わらない方がおかしいと思います。ただ、変質してはいけないと思います。特に、演技というのは僕が自分を客観的に見れるものではないんです。そのため、周りに正確に話してくれる人が必要だと思います。また、僕自身は彼らの話に順応すべきだと思います。
―実際、変質されていることをその張本人がちゃんと感じることは難しいです。
カン・ハヌル:その通りです。自分は知ることができません。自分が変質されることを感じる人は成功した人だと思います。
―今回のインタビューはユン・ドンジュ詩人の詩の話で終わらせたいと思います。どの詩に最も魅力を感じますか?
カン・ハヌル:本来は「序詩」が一番好きでした。有名な詩は有名なだけの理由があるじゃないですか。でも、「ドンジュ」を撮ってからは「自画像」に心を奪われました。
―詩に登場する“ある男”を映画はソン・モンギュに比喩しましたが。
カン・ハヌル:そうなんです。僕はその解釈がとても気に入りました。「男をソン・モンギュに比喩するなんて、わあ〜」と感心しました。でも、僕は“ある男”はユン・ドンジュ詩人自身を意味すると信じています。そんな意味で、ユン・ドンジュ先生は自分をすごく愛した人だと思います。自分を愛していなければ、自分自身をそんなに批判することはできないからです。自分を振り返ることができないんです。自分を本当に愛するからこそ、憎むこともできると思います。
―そんな意味で、カン・ハヌルさんは自分を愛する俳優だと思います。